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ことば帖
収録していることば 8915語
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读书百遍,其义自见(dú shū bǎi biàn, qí yì zì xiàn)
年寒くして松柏の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る→気候が寒くなってから、初めて松柏が葉を落とさないでいるのが分かる。人の真価は困難に出合った時に初めて分かることのたとえ。
严师出高徒は「厳しい師は優れた弟子を輩出する」となる。
世上无难事,只要肯登攀(shì shàng wú nán shì, zhǐ yào kěn dēng pān)
他山之石,可以攻玉(tā shān zhī shí, kě yǐ gōng yù)
(深く話せる、何でも話せる)親密な友達のこと
相知无远近,万里尚为邻(xiāng zhī wú yuǎn jìn, wàn lǐ shàng wèi lín)
『論語』から。些細な事で辛抱できないようでは、大きな事を成し遂げる事はできないということ。
蘇軾『題西林壁』から。横看成岭侧成峰,远近高低各不同,不识庐山真面目,只缘身在此山中「視線を横に動かせば山脈となり、側で見ればそそり立つ峰となる。近くに遠く、高い場所に低い場所、どこから見ても姿は違う。廬山の真の姿が分からないのは、私が廬山の中に身を置いているから。」廬山(江西省九江市南部にある名山)には多くの峰がそびえており、見る方向によって形が変わり、その全景をとらえがたいように、大きく複雑で測り知れないことのたとえ。複眼的に様々…
欧陽脩『酔翁亭記』から。醉翁之意不在酒,在乎山水之间也,山水之乐,得之心而寓之酒也「酔翁の真意は酒にはない。山水の間にある。山水を愛でる楽しみは、これを心にとらえることにあり、酒は口実なのだ」からの引用。
陸遊『遊山西村』から。山重水复疑无路,柳暗花明又一村「山は重なり、花が鮮やかに咲くところ、また村があった。」からの引用。先に進む道がないかと思ったところに村が現れたことから。日本の四字熟語の「柳暗花明」は美しい景色を表すが、困難ななかに希望を見つけるという意味はない。
寒さが残っても春になり、残暑があるといっても秋が来るように、年寄りはいくら元気だといっても、いつどうなるか分からないというたとえ。(日本の諺では「春の雪が消えやすい」となる)
(文章やアイデアが)泉のようにどんどん湧いてくる
山上无老虎,猴子称大王(shān shàng wú lǎo hǔ, hóu zi chēng dài wáng)
胶多了不黏,话多了不甜(jiāo duō le bú nián, huà duō le bú tián)
秀才遇见兵,有理讲不清(xiù cái yù jiàn bīng, yǒu lǐ jiǎng bù qīng)
数えどし七、八歳時分の子どもはわんぱく盛りで、近所中から憎まれる。
口で憎い憎いというのは逆に愛している証拠だということ。愛情表現は、うらはらなことをいうことが多いということ。
听话听音,锣鼓听声(tīng huà tīng yīn, luó gǔ tīng shēng)
以前にあったものの模倣や繰り返しで、内容は変わっていない。形式が変わっただけで中身の変更がないこと。
没理占三分も同じ。「盗人にも三分の理」の意味に近く、悪事を働く泥棒にも、それなりの理由がある、どんなことにでも理屈はつけられるということ。
自分の能力を顧みず、大胆不敵で大それた野望を持つことのたとえ。
自分の得意なことや優れている部分などをつらつらと挙げて(得意気に)主張すること。
トラに一度乗ってしまったら下りることができない。物事を始めてしまった以上、中途でやめるわけにはいかないことのたとえ。
dueは「期日の」の意味。
できるかぎりやる、全力を尽くす、ベストを尽くす
流水不腐,户枢不蠹(liú shuǐ bù fǔ, hù shū bù dù)
故地重游、重游故地が同義語。以前住んでいた場所や過去に旅行した場所などを懐かしんで再訪すること。
花咲く春にあう、やっと運が向いてきた
相手の話をしっかり聞ける人は、相手とうまく会話ができる話し上手だということ。
草率は「(仕事などのやり方が)いいかげんである、ぞんざいである」。从事は「1携わる、従事する 2(規則に基づいて)処理する」の意味。
打った一手が飛車手と王手の両手になること。
人間の欲望には際限がなく、一つの望みを遂げても満足できず、次の望みがまた湧きあがるということ。
有百害而无一利、百害无一益も同じ。
あらゆる川は海に流れ込むが、それと同じように、利得や信望があるところには自然と人が集まってくるという意味。