子を知ること父に若くは莫し(こをしることちちにしくはなし)
子供の長所・短所は、誰よりもよくその父親が知っているということ。
ことば帖
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子供の長所・短所は、誰よりもよくその父親が知っているということ。
人间私语,天闻若雷(rén jiān sī yǔ, tiān wén ruò léi)
外見は立派だが、基礎がしっかりしていないため長く維持できないもののたとえ。
”人多好作活”と同じ。
味方でありながら内部から災いをもたらす者や恩を仇で返す者のたとえ。
瓜は熟せば地に落ちるのが自然の道理であるように、何事も辛抱強く待たなければならない、また条件が熟せば自然に成功することのたとえ。「瓜熟蒂落,水到渠成」も同じ意味。
わずかなものでも多く集まれば大きなものとなるたとえ。
香料の原料である麝香(じゃこう)は自然とよい香りを放つ。本当に才能がある人やよい物というのは、自然に世の中に広まっていくということ。
盛筵易散も同じ。現在、勢いがあり絶頂にいる者も、必ず衰える時が来るということ。華やかな宴も別けれる時が来ること。
敵の大将を射ようとするなら、まずその乗っている馬を射て→標的を直接狙うより、まずその人が頼みとしている周辺から攻め落としていくのが良い。
日本語の「住めば都」を漢字で表現したもの。
宁吃百日苦,不留一生憾(níng chī bǎi rì kǔ, bù liú yī shēng hàn)
若い盛りは一生のうちに二度とは来ないということ。
「万卒は得易く一将は得難し」ともいう。兵士はいくらでも集められるが、名将は一人でも見つけるのは難しいという意味。
前车之覆,后车之鉴(qián chē zhī fù, hòu chē zhī jiàn)
昔の人の努力のおかげで、今の人が楽をすることが出来るたとえ。
前门拒虎,后门进狼(qián mén jù hǔ, hòu mén jìn láng)
千羊之皮,不如一狐之腋(qiān yáng zhī pí, bù rú yī hú zhī yè)
『後漢書』から。糟(酒のかす)糠(あらぬか)で粗末な食物を指す。貧しい時代から共に暮らしてきた妻は、立身出世したからといって、家から放り出すことはできない。貧しく地位が低かった頃の友達はいつまでも忘れてはならないということ。
”大树之下无丰草”も同じ。大木が茂って陰になっている土地には、よい草ははえない。あまりに偉大な人物の下では、人は意欲を失ってしまい、かえって有能な人が育たないということ。
好心换来驴肝肺、好心做了驴肝肺、好心当成驴肝肺、好心当了驴肝肺も同じ。ロバの肝臓と肺は安価で不味い。善意がロバの肝臓と肺のように受け取られるということ。
逻辑は「論理、ロジック」、自洽は「整合性のとれた、自己矛盾のない、妥協点を見つける、バランスをとる」の意味。
父恩比山高,母恩比海深(fù ēn bǐ shān gāo, mǔ ēn bǐ hǎi shēn)
骨肉相食む(こつにくあいはむ)、血で血を洗う、
手电筒~のあとに专照别人,不照自己;只照别人,照不见自己を続ける場合も同じ意味となる。他人のことはよく見えても自分のこと、特に自分自身の欠点や問題にはなかなか気づかないという意味。灯台照人不照己は「灯台もと暗し」。
鞭长莫及も同じ。鞭が長すぎると馬の腹を叩くことができない。どんなに大きな力があっても、どうすることもできないことがあるということ。
”擀面杖吹火,一窍不通”のようにほとんどが「一窍不通」(ずぶの素人である、まったくの不案内である)と対で使われる。餃子などの生地を伸ばすのに使う麺棒は細長い棒であるが、筒状ではないため火をおこすのに使えないのに、麺棒で火をおこそうとしていることから。
君子之交淡若水「君子の交わりは淡き水の若し」(徳のある者は友人と交際するにも、あたかも水のように淡々としているが、その友情はいつまでも変わることはないこと。)からの引用であるが、元の意味とは関係ない。交淡若水=交淡如水で、これが「心淡如水」に変形されたもの。”心静如水”でもほぼ同じ意味。
烈女不更二夫も同じ。貞女は、二人の夫を持つことをせず、再婚しないことをいう。
2は”crazy”の音訳のネット用語。
手を易え品を易える、あらゆる手段を尽くして
老天爷は神様の意味。たとえ生活が厳しいと思えても、天は慈悲深くて人を見捨てることはないということ。
天无三日晴,地无三里平(tiān wú sān rì qíng, dì wú sān lǐ píng)
老天不负苦心人も同じ。天は人の力を借りないで、自分一人で努力する人を助け成功させるということ。
同じような、苦しい境遇にある者同士は、たがいに親近感を覚えるものであるということ。
感情がストレートな、一本気な