人によって扱い方を変える
看人下菜も同じ。もともとは「客の身分に応じて料理の盛り付け方を調整する」という言い回しから。
ことば帖
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看人下菜も同じ。もともとは「客の身分に応じて料理の盛り付け方を調整する」という言い回しから。
恶紫之夺朱也も同じ。古代正色とされていた朱にかわり、孔子のころには間色である紫が好まれるようになったところから。まがいものが本物にとってかわり、その地位を奪うことのたとえ。悪が善に勝って不正が世にはびこることを表したりもする。
见贤思齐焉,见不贤而内自省也(jiàn xián sī qí yān, jiàn bù xián ér nèi zìxǐng yě)
死马做活马医、死马当做活马医、死马当作活马医、死马当做活马医でも同じ。『捜神記』にある名獣医が死んだ馬を救ったという故事に由来する。
それにより元気になる、とても励まされる、大いに奮い立つ
籠で水を汲んでも少しも溜まらない→苦労や努力をしても手段が誤っているため全く効果がないこと。竹篮打水,落而无效も同じ。
说话小心,行动谨慎のこと。軽はずみな言動を慎むこと。
别树一帜「他人と違う旗を掲げる」。独树一帜「独自の旗を掲げる」と同じ。
軽い羽でも集まれば船を沈めることができるということ。些細なことが重なっていくと大きな災害になる、また小さなことが積み重なって大きな成果となるという意味。
今ある環境などがあまりに楽しくて、元ある場所、帰るべきところを忘れてしまうこと。三国時代の逸話から。三国時代の蜀が滅亡し、魏に降伏した劉禅は洛陽(魏の都)で司馬昭のもと余生を送った。劉禅が司馬昭に「蜀を懐かしく思うか」と問われ「ここは楽しくて、蜀のことなど思い出すこともない」と答えたことから。
深すぎて底が計り知れない。
創作意欲が湧いた、気分が乗った時などに一気に集中して書き上げること。
死の淵に追い詰められていること。
多言多败、言多必失と類義語。話し過ぎると失言が多くなり災いの元になるということ。
救焚拯溺(jiù fén zhěng nì)「窮地に陥った人を助ける」。
绵薄「薄くて僅かな絹の綿」の力で、自らの僅かな助けを比喩している。
鸿运通天は類義語。鸿运「非常によい運勢」。转鸿运「運が向く」。
天は善行に報い、悪行に罰を与えるという原則。行為(原因)と結果の避けられない関係性を言い表している。善有善报,恶有恶报と同じ。
知るすべがない、知る由もない
难分难舍でも同じ。难解难分は類義語。
难舍难分が類義語。
言葉にならない、言葉でうまく表現できない、上手く真意が伝えられない
「东家长西家短,七个碟子八个碗昔」「东家长西家短,三个蛤蟆四只眼」などとも言う。「张家长李家短」という言い方も同じ。「东家」と「西家」についての「长短」を比べる。昔の農村の生活は単調だったため、おばさんらが集まって人の家のどうでもよいことを井戸端会議のようにグダグダ話していることを指している。
得=「可以、能够」、诛=「杀死」。誰もが殺しても許されるほどの極悪人を形容する。
表向きの態度は愛想よく振る舞いながら、内心では悪巧みを抱いていること。
『論語』から。成功しなければ「杀身成仁」(身を殺して仁をなす、正義のために死ぬ)ということ。
舌头底下压杀人も同じ。軽率な発言や失言が命取りとなることがあるということ。
よい経過をたどりながら、最後の結果で失敗することのたとえ。
(自らの)できる範囲のこと、果たすべき義務と責任
泣いているような訴えているようなそのような声から。
命をいつ落としてもおかしくない差し迫った状況、かろうじて生きている状態を形容する。
桃李不言,下自成蹊(táo lǐ bù yán,xià zì chéng xī)
甜而不腻「1甘いがしつこくない、さっぱりした甘み 2いちゃついても嫌味がない」。
鷹狩の心得。見込みがないことやチャンスが確実でないならば、軽率に行動を起こすべきではないということ。
客観的な判断による割り切り。一码事归一码事も同じ。
魚竜混雑(ぎょりゅうこんざつ)は、立派なもの(竜)とつまらないもの(魚)が入り交じっている状態のこと。牛骥同皂は、足の遅い牛と速い馬を同じ馬槽で扱うことで、様々な才能のものがひとつの場所にいることを言い表す。