牛驥同皁(ぎゅうきどうそう)〈喩〉つまらない者が賢者の中に混じっている
骥は「千里行く馬」、皂は「馬槽」。足の遅い牛と速い馬を同じ馬槽で扱うとなる。様々な才能のものがひとつの場所にいることを言い表す。鱼龙混杂は、立派なもの(竜)とつまらないもの(魚)が入り交じっている状態のことで同じ様に使う。
ことば帖
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骥は「千里行く馬」、皂は「馬槽」。足の遅い牛と速い馬を同じ馬槽で扱うとなる。様々な才能のものがひとつの場所にいることを言い表す。鱼龙混杂は、立派なもの(竜)とつまらないもの(魚)が入り交じっている状態のことで同じ様に使う。
危機に直面しても慌てない、危険な目に遭っても冷静に対処する
猪油=豚の脂(ラード)。かつては豚の脂は貴重なものだったことから、豚の脂が良心を鈍らせているという意味で使う。
步入正途は類義語。
亡羊补牢,犹未迟也(wáng yáng bǔ láo, yóu wèi chí yě)
心身ともに疲労困憊する
人非圣贤,孰能无过(rén fēi shèng xián, shú néng wú guò)
但知行好事,莫要问前程(dàn zhī xíng hǎo shì, mò yào wèn qián chéng)
すばらしいものを見て驚嘆する、驚くほど感心する
行く先が錦のように輝かしいこと。
风马牛だけでも同じ。風馬牛も相及ばず(ふうするばぎゅうもあいおよばず)は、春秋時代の『春秋左氏伝』にある「発情して互いを求め合う馬や牛の雄と雌でも、会えないほど遠く隔たっている」という記述が元となっている。馬と牛が一緒にいてもそれぞれが相手の領域には干渉しないこと。
一緒くたんに論じる、一律に議論する、十把一絡げに論じる
至誠天に通ず、誠を尽くせば奇跡が起きる
無関係な、全く関わりのない
心願成就、心で思ったことが成し遂げられる、願い事が叶う
诸事顺意と同じ。
人非草木,孰能无情(rén fēi cǎo mù, shú néng wú qíng)
一帆风顺と同義語。诸事不顺「何をやっても上手くいかない」が反義語。
全力を尽くして、最善を尽くす
仏教用語で唐捐は「目的が達成できない、骨折り損、無駄に消耗する」の意味。「努力すれば目的が達成できないことはない」となり、「労多くして功少なしと思えても、いずれ必ず大きな結果が表れる」ということ。法華経
良い結果が期待できる希望的な未来があるという意味。来日可期でも同じ。
語っている言葉は自分の心から芽生えた苗だということ。心の中で思っていることは、口に出してしまいがち。本心は思わず言葉にしてしまうものであるという意味。
先知先觉が反義語。
水积而鱼聚,木茂而鸟集(shuǐ jī ér yú jù, mù mào ér niǎo jí)
「一度笑っただけで街が傾く」とは、微笑みに絶大な魅力があるあまり、君主を惑わし、国を滅ぼしてしまうほどであるということ。具体的には前漢の武帝の李夫人のことを指している。ちなみに「微微一笑很倾城(邦題:シンデレラはオンライン中)」というドラマがあった。
生锈は「錆びる、錆びつく」の意味。脑子失灵、脑子卡顿、脑子进水、脑子进屎、脑子有坑、脑子短路、脑子秀逗、脑子死机了、脑子瓦特了も同じ。
惊鸿は「1驚いたガン(雁) 2美人、綺麗な容姿」の意味。
神秘的で人を惹きつける魅力がある
杀鸡吓猴、杀鸡骇猴、杀鸡给猴子看と同じ意味。儆は「過ちを犯さないよう用心させる、戒める」の意味。直訳すると「ニワトリを殺して猿を戒める」。
以力服人「力で人を制服する」。以理服人「道理を説いて人を説得する」。
もともと仏教用語。すべての道が仏教の教えに従っている。ここから、すべての行動や考えが筋道だっているという意味で使われるようになった。井井有条、有条不紊などが類義語。
独立独往、自分の信じるところを貫き通す姿勢を表す。
学然后知不足,教然后知困(xué rán hòu zhī bù zú, jiào rán hòu zhī kùn)
进可攻,退可守(jìn kě gōng, tuì kě shǒu)
「増えることがあっても減ることはない」ということを強調している。
需要什么就有什么、要什么有什么「望むものがすべてある」のこと。逆に要啥没啥(要什么没什么)は「何もない」となる。