絶え間なく続く、いつまでも尽きることがない
絶え間なく続く、いつまでも尽きることがない
ことば帖
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絶え間なく続く、いつまでも尽きることがない
(肉体的・精神的な)男らしさ
(のんびり)あてもなくぶらぶらする
直訳すると「義のために顧みることなく」となる。
硕果「大きな果実、大きな成果」。
肌の色が白い女性は、多少の欠点があっても美しく見えるということ。一白遮九丑、一白掩三丑も同じ。一美遮百丑、一俊遮百丑のように「優れたパーツ(チャームポイント)が顔の他の欠点をすべて隠してしまう」となる。
「看重女色,轻视友情」がもとになるが、男女ともに使用する。見色忘友も同じ意味。
力が弱い、力量が劣っている
人の心を思い通りに操ること、相手を籠絡する
1埃をかぶる 2憔悴する、落胆する、意気消沈する
簡単に言うと、言ってしまえば、要するに
武術は長い年月の修練を経てこそ、力を発揮できるということ。そこから、目標に向かって一つのことにひたすら取り組むめば結果は自ずと表れるということ。
凡事预则立,不预则废(fán shì yù zé lì, bú yù zé fèi)
水能载舟,亦能覆舟(shuǐ néng zài zhōu, yì néng fù zhōu)
心旌摇拽も同じ。
死ぬに死ねず生きるに生きられない状態。
直訳すると「刀にしゅっしゅっと研きをかける」となる。
『孔子家語』から。水清无鱼でも同じ意味。直訳すると「水清ければ魚棲まず(水が綺麗すぎると魚はいなくなる)」となる。このあと”人至察则无徒”「人至って賢ければ友なし(あまり賢明であると、他人から敬遠されて孤立してしまう)」を付けても成語となる。
缄默不语も同じ。保持缄默は「沈黙を保つ」。
打人不打脸,骂人不揭短(dǎ rén bù dǎ liǎn, mà rén bù jiē duǎn)
”该装糊涂的时候难得糊涂”、“人若达到聪明的境界之后,再由聪明而转入糊涂则更难”という清朝の鄭板橋が詠んだ詩から。賢くないのに賢いと思っている人がこの世には多いが、自らは賢くなく自分は何も知らないと悟っている人はほとんどいない。「賢くなることは難しいが、自らが無知な人であると認めることも難しい」。つまり、难得糊涂「愚かであることは難しい」は、自ら何も分かっていないことを知れという反語表現になる。
善因善果、因果応報、情けは人の為ならず
積悪余殃(せきあくのよおう)、積悪の家には必ず余殃あり
欲速不达も同じ。『論語』から。孔子が弟子の子夏に政治の心構えを尋ねられたとき「无欲速,无见小利,欲速则不达,见小利则大事不成」(成果を急いではならぬ、小さな利益を追い求めてはならぬ、成果を急ぐと却って目標に達せず、小さな利益を追い求めると大きな仕事はできぬ)と答えたことから。物事を早くやりとげようとすると、かえって成就しないということ。何事も焦ると失敗しやすいもので、急ぐときほど落ち着いて冷静に行動すべきだという教訓。事缓则圆と同義語。
欲迎还拒は「本当は歓迎しているのに拒否する」と逆の意味になる。
无量「非常に大きい、計り知れない」の意味。前途无亮「前途に光が見えない、将来に希望がない」。
実力があると名声はおのずとついてくる、名実ともに(ふさわしい)
有钱出钱,有力出力(yǒu qián chū qián, yǒu lì chū lì)
強者が自らの優位性を利用して弱い立場のものをいじめること。
胸がキュンとする、胸がときめく
命をもって償う、命を引き換えにする
真心实意、全心全意と同義語。
対象の同意や条件は考慮せず、主体側の一方的な願望のこと
ふくよかな、ふっくらとした
直訳では「本(知識、学問)は用いる(実践する)ときになって足らなかったことを悔む」となる。「もっと勉強しておけばよかった」と後悔の意味を持つ。若いころは本を読めて言われても、その重要性が分からない。しかし、年齢を重ねると若い時にもっと本を読んでおけば良かったと思うことが多いということ。
掛け算は一方がゼロだと何を掛けてもゼロになる。特に恋愛などの関係性は、片方が存在しないだけで成り立たないということを言い表している。一方为零一切为零、一方为零结果就等于零、一方为零结果皆为零なども同じ。