鶏口となるも牛後となるなかれ、鶏口牛後(けいこうぎゅうご)
宁为鸡口,无为牛后(nìng wéi jī kǒu, wú wéi niú hòu)
ことば帖
このカテゴリに収めた中国語です。
収録していることば 1543語
宁为鸡口,无为牛后(nìng wéi jī kǒu, wú wéi niú hòu)
涓涓不壅,终为江河(juān juān bù yōng, zhōng wéi jiāng hé)
うさぎが死ぬと、猟犬も不要になり煮て食われる。必要なときは重宝がられるが、用がなくなればあっさり捨てられることのたとえ。
巧みに偽って人を欺こうとしたり巧言を弄したりするよりも、拙くても誠意をもって相手に対した方が、相手に伝わるという意味。
高飞之鸟,死于美食,深泉之鱼,死于芳饵(gāo fēi zhī niǎo, sǐ yú měi shí, shēn quán zhī yú, sǐ yú fāng ěr)
弘法大師のように書に優れている者なら筆の善し悪しは関係ないという意味。
卖油的娘子水梳头も同じ。直訳すると「油を売る女が水を使って櫛で髪をとかす」となる。他人のために技術を使うばかりで、自分に手が回らないことのたとえ。同じ意味の諺として「医者の不摂生」「大工の掘っ建て」がある。
心安きは不和の基、親しき仲にも礼儀あり
人间私语,天闻若雷(rén jiān sī yǔ, tiān wén ruò léi)
外見は立派だが、基礎がしっかりしていないため長く維持できないもののたとえ。
”人多好作活”と同じ。
味方でありながら内部から災いをもたらす者や恩を仇で返す者のたとえ。
瓜は熟せば地に落ちるのが自然の道理であるように、何事も辛抱強く待たなければならない、また条件が熟せば自然に成功することのたとえ。「瓜熟蒂落,水到渠成」も同じ意味。
わずかなものでも多く集まれば大きなものとなるたとえ。
香料の原料である麝香(じゃこう)は自然とよい香りを放つ。本当に才能がある人やよい物というのは、自然に世の中に広まっていくということ。
盛筵易散も同じ。現在、勢いがあり絶頂にいる者も、必ず衰える時が来るということ。華やかな宴も別けれる時が来ること。
敵の大将を射ようとするなら、まずその乗っている馬を射て→標的を直接狙うより、まずその人が頼みとしている周辺から攻め落としていくのが良い。
宁吃百日苦,不留一生憾(níng chī bǎi rì kǔ, bù liú yī shēng hàn)
若い盛りは一生のうちに二度とは来ないということ。
「万卒は得易く一将は得難し」ともいう。兵士はいくらでも集められるが、名将は一人でも見つけるのは難しいという意味。
前车之覆,后车之鉴(qián chē zhī fù, hòu chē zhī jiàn)
昔の人の努力のおかげで、今の人が楽をすることが出来るたとえ。
前门拒虎,后门进狼(qián mén jù hǔ, hòu mén jìn láng)
千羊之皮,不如一狐之腋(qiān yáng zhī pí, bù rú yī hú zhī yè)
『後漢書』から。糟(酒のかす)糠(あらぬか)で粗末な食物を指す。貧しい時代から共に暮らしてきた妻は、立身出世したからといって、家から放り出すことはできない。貧しく地位が低かった頃の友達はいつまでも忘れてはならないということ。
”大树之下无丰草”も同じ。大木が茂って陰になっている土地には、よい草ははえない。あまりに偉大な人物の下では、人は意欲を失ってしまい、かえって有能な人が育たないということ。
好心换来驴肝肺、好心做了驴肝肺、好心当成驴肝肺、好心当了驴肝肺も同じ。ロバの肝臓と肺は安価で不味い。善意がロバの肝臓と肺のように受け取られるということ。
骨肉相食む(こつにくあいはむ)、血で血を洗う、
手电筒~のあとに专照别人,不照自己;只照别人,照不见自己を続ける場合も同じ意味となる。他人のことはよく見えても自分のこと、特に自分自身の欠点や問題にはなかなか気づかないという意味。灯台照人不照己は「灯台もと暗し」。
鞭长莫及も同じ。鞭が長すぎると馬の腹を叩くことができない。どんなに大きな力があっても、どうすることもできないことがあるということ。
”擀面杖吹火,一窍不通”のようにほとんどが「一窍不通」(ずぶの素人である、まったくの不案内である)と対で使われる。餃子などの生地を伸ばすのに使う麺棒は細長い棒であるが、筒状ではないため火をおこすのに使えないのに、麺棒で火をおこそうとしていることから。
烈女不更二夫も同じ。貞女は、二人の夫を持つことをせず、再婚しないことをいう。
手を易え品を易える、あらゆる手段を尽くして
老天爷は神様の意味。たとえ生活が厳しいと思えても、天は慈悲深くて人を見捨てることはないということ。
老天不负苦心人も同じ。天は人の力を借りないで、自分一人で努力する人を助け成功させるということ。
同じような、苦しい境遇にある者同士は、たがいに親近感を覚えるものであるということ。