ハラハラするも何もなかった、間一髪で助かる
はらはらどきどきするも危険や大事には至らなかったということ。
ことば帖
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はらはらどきどきするも危険や大事には至らなかったということ。
莫大于~は「~より大きいものはない」。心死は「絶望感に襲われる、希望の喪失」。
美人はとかく薄幸、短命であることが多いということ。美人は美しく生まれたが、とかく幸せな一生が送れない数奇な運命であるということ。立派な人について言う場合もある。「薄命」は不運のこと。運命に恵まれないこと。また、短命の意にも用いる。天妒红颜も同じ。
炯炯は「鋭く輝くさま、炯々としている、きらきらしている」の意味。
死ぬまで変わることない
水面が全く動かず静まっているような心の境地のこと。他人の誘惑や環境に左右されない心持ち(意思)を保つことを表現している。心潮澎湃が反義語。
司馬遷の「史記」から。「高い建物から水瓶を傾けると必ず下に落ちる」の意味で、自然之理を利用するべきだということ。低いところから攻撃するより高い場所を利用すれば有利であること。
「度が過ぎたものは、足りないものと同様によくない」という意味。孔子の孔門十哲(特に優れた10人弟子)である子貢が、「师与商也孰贤?」(師と商はどちらが賢いですか?)と尋ねた。すると孔子は「师也过,商也不及」(師は賢すぎで商は足らなすぎ)と回答した。すると子貢は「然则师愈与?」(つまり師が勝っているのですね?)と確認すると、孔子は「过犹不及」(過ぎたるはなお及ばざるが如し)と返答した。
”花钱如水”という言い回しも同じ。
要点が纏まっている、分かり易く説明してある
平凡で何も引きつけるものがない、何の変哲もない
すべて揃っている、一切備わっている
天地(すべての外的要因)を恨むということ。また休みなくずっと恨み続けるという意味。
生活や仕事などの苦労や疲労を形容する。
何でも打ち解け合え、互いに信頼し合える友人のこと。『荘子』大宗師から。子祀、子舆、子犁、子来の4人組みが言い争ったあとに非常に心が通じ合う間柄になったことから。
頭部と耳まで肉付きがよく大柄な人を指す。
予期せずやって来る、不意に訪れる
挑拨是非は同義語。
直訳すると「刃物でも槍でも刺し殺せない」となる。凝り固まった考えで、他人からの助言や意見を全く受け付けず、融通性に欠けること。
直訳すると「兄弟でもお金のことはしっかりと精算する」となる。親しい仲でもお金の貸し借りで不和が生じやすいことの例えとなる。
转眼だけでも同じ意味。
肩を組む、肩を抱き合う
直訳すると「一粒も収穫もない」となる。
畏手畏脚も同じ。
老人(ベテラン)がプライドを持たず、歳をとって恥も知らずに
遥か遠く及ばない、達成するには程遠い、手の届かない
手書きの文字には書き手の人柄や心が出る。また書道の筆跡には心理状態や性格までもが出ると言われている。
「東を指して西を罵る」が直訳。指东说西とも。指桑骂槐「桑の木を指して、槐(えんじゅ)の木を罵る」も同じ意味。
迷って決められない、優柔不断な、二の足を踏む
詩や絵画などの小さなものの中に、壮大な世界がこめられているということのたとえ。
语浅情深(yǔ qiǎn qínɡ shēn)
无所不知と同じ意味。「无所不知无所不晓」と続けて使われることが多い。
色々考える、あれこれと考えを巡らす
視野を広げる、見識を広げる
昼夜を分かたず、連日連夜
搭には「つながる」という意味がある。「話の前後の意味がつながらない」→「話の辻褄が合わない」となる。